最近、グループ会社のひとつが解体されて、契約社員の人が辞めた。オイラはその人とちょこちょこ話していたのでいたのだが、彼は去り際のときにずっと「切る側」「切られる側」という話をしていた。
まあ、こういうのはいくら他人が言っても自分が理解できなければ、まったく伝わらないのでオイラは言うのを止めたのですが、「切る側」とか「切られる側」って話じゃないんだよなあ(;´Д`) 切るとか切られるとかじゃなくて、「必要とされているか否か」ってとこなんじゃよねえ。
例えば、オイラ。オイラは会社の社員であり、被雇用者なわけです。切られる側ってわけですな。ただ社長はおいそれとオイラの首は切れんし、辞めると言ったら必死でひきとめるでしょう。なぜなら、オイラは会社に必要とされているから(;´Д`) オイラが辞めたら、半年間は売り上げは現在の2/3になるでしょう。会社的にはとても致命的です。そこには切る側とか切られる側って立場よりも上のレイヤーで、必要とされているか否かってもんがあるからです。
オイラはその必要性を高めるために、命を削ってアタマ使って日々生きてきたのです。
ですが彼は、頑張ってはいたけど、残念ながら必要とはされていなかったのです。
ちょっとオマージュになりますが、「思うのは自分」というのは確かにその通りなのですが、「自分がどんな人間か決めるのは自分以外の他人」ってのも別のベクトルで混在しています。オイラは「自分が思う」のと同じように「他人がどう考えるか」を一緒に考えなくてはいけないと思うのです。結果的に自分が思うようにやるとしても。人なんか関係ねー、自分が思うようにやるんだ!ってのは、何もやってないのと同じだと思うのです。なぜなら、他人というのは自分の投影だから。
もし、世界が自分一人しかいなければ自我を保つことはできないでしょう。自分とそれ以外があって、初めて自分を認識できるわけです。だから、世界は自分なのです。その意味では自分が思うがままに突き進める人なんてそうそういないはずで、必ず!どこかで! 自分以外の誰かを意識してるはずなのです。意識していないなら、「思うがまま」なんて発想自体出てこないはずなのです。たまにその境界線を突き破っちゃう人が天才とかキチガイとか呼ばれる人たちなのでしょう(;´Д`)
彼はオイラよりもちょこっと下だったかと思いますが、死ぬほど絶望してそのことに気づいて次で頑張ってくれればいいなあと思っております。オイラがそうだったように。
まあ、何が言いたいかというと、えーと、……ぐだぐだ言う前にやれ!ってことです(;´Д`)
さすが切られた人間の言うことは説得力があるね^^^^^^^^^^
まあ、いい経験だったな( ´_ゝ`) <br>おかげさんで、進歩したからむしろ感謝すべきだな( ´_ゝ`)