2004-11-04-Thu 幕間(仮)@THE LOVE SONG

[] ミギーと人間

さて、例の動画を見てしまったわけであるが、というか、先日それについて触れてしまったので、やはり見なくてはいけないだろう。まあ、なんというか、むごたらしいですな。このテの動画は見るのは初めてではないのですが、やはり同じ国の同じ民族の人間のソレを見るのは、一際悲惨なものがあります。何かで、「人間は民族や人種が違うと同じそれにはとてもできないような残虐なことができる、もしくはしてしまう」と書いてあったんですが、逆に言えば、それは同じ民族や人種にはそれはできないということなんですよなあ。これってなんなんだろうといろいろ考えたのです。

オイラの好きな漫画に「寄生獣」という作品があります。人間の脳を乗っ取り、人間に擬態して人間を捕食するエイリアン?(作中では詳しいことは書いてないのです)と、脳でなく、人間の右腕に寄生してしまったエイリアン?のミギーとその宿主シンイチとの共生とエイリアン?との戦いを描いた作品なのです。ストーリーもバトル漫画っぽい設定でグロいシーンなども出てきますが、基本的には「人間とは?」みたいなお話なのです。作中でミギーは、人間のバラバラ死体を見て狼狽するシンイチにこんな感じのことを言います。まあ、セリフやシチュエーションがだいぶ違うような気がしますが、大方はこんな感じの内容です(;´Д`)「キミたち人間はスーパーにならんでいるパックの肉や魚をいつも見てるじゃないか。あれだって、バラバラ死体なんだから、これだって同じことさ」。

ミギーを始めとしたエイリアン?達には、いわゆる人間的な感傷がなく、非常に合理的な考え方をします。確かに、スーパーで売ってるパックの肉や魚はそれらのバラバラ死体で、オイラ達はそれを見てもなんとも思いません。しかし、それが人間であったなら……。この差について考えたんですが、やっぱりそれは自分と同じモノであるからなのだと。同じモノであるということは、自分にそれを置き換えて想像しやすいってことなんだろうなあと。だから、自分に近ければ近いほど、その想像のディテールがより鮮明になり、それに対する感情というのもまた鮮明になるんだろうなあと考えたのです。

これと同じことで、例の動画を見たときの、他のソレとは違う感情というのはまさにこれなんだろうなあと。同じような動画に出ていた、アメリカ人や韓国人よりも同じ日本人のがより鮮明に想像できてしまい、さらに身近に感じてしまう。これはおそらく他の民族でも同じで、逆にアメリカ人や韓国人がこれを見ても、自国民のソレとはインパクトがぜんぜん薄いんだろうなあと。ま、新潟地震で「天罰だ!」とか「積年の恨みをー」とか言って喜んでる民度の低い韓国人はまた別の感情を持っているかもしれませんが。

つまりは、人間は想像できる生き物で、ソレを自分に置き換えて想像し、感情移入できてしまう優しい生き物なのだということです(´ー`) ま、あの中東の連中どもなら平気で同胞でもブッ殺しそうですが。ああ、ついに今までタブーにしてた話題を書かねばいかんか。というか、書くか……。

[] 宗教と政治 リード900字程度

とかいう、大仰なお題目もブチ立ててしまったのであるが、そうたいした話じゃあない。というかそんな大仰な話はできない(;´Д`) オイラの大学のゼミの先生からいただいた言葉がありましてね、先生曰く「飲み屋で政治と宗教と野球の話はするな」らしいです。つまり、これについて語り始めると、必ず対抗勢力といいますか、アンチと言いますか、そういうのが酔っ払った勢いで喧嘩をふっかけてくるので、飲み屋ではやめれということなのです。

ちなみに、今から書くのは特定の宗教がどうとかこうとかっていう話じゃなくて、……いや、特定の宗教を指してる場合もありますが、いわゆる「宗教」というものについてです。オイラのネットのお知り合いにクリスチャンの方がけっこういましてね、あんまり書きたくなかったのですが、元々「喜怒哀楽で書き殴れ!」的な、文章でROCKするのが、わが日記のコンセプトなのでもう書いてやる! が! 忙しくなってきたので、また後ほど(;´д⊂

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